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重力ピエロ/フェチは「記号のすり替え」である 【etc】report・review

02.05.2011 Comment:6
伊坂幸太郎の小説「重力ピエロ」が好きです。

主人公の弟、「春」という登場人物が魅力的。外見が良く(映画では岡田将生が演じていました)アートのセンスを持ち(同時に大きな傷(致命的な傷)も持っている)、オカシな洋服を着て「今は西暦何年でしょうか」と街の人にたずねる「未来の人ごっこ」を本気でやったり。そんな遊び心とクレイジーさに魅かれます。
彼は街中に書き殴られたグラフィティアートに対して「妥協した絵のどこが、『芸術』なんだ。それは、芸術の真似事で、煎じ詰めれば、自己顕示欲の発露でしかない。自己主張の言い訳だよ」と言います。「自己顕示」と「アート」の違いって何でしょうね。aiもよく考えるテーマですが答えは出ません。

この小説の好きなところのひとつに「色」があります。鮮やかな色彩がたくさん登場します。物語の鍵となる「グラフィティアート」はスプレーペンキで描かれた路上のラクガキ(春は自己顕示のためにラクガキをする若者の顔に赤いペンキを吹きつけます)。あるいは、タイトルにもなっているサーカスのピエロが登場するところ。

また、こんな文章があり、「グッ」ときてしまいました。

“布団の上にオムライスを引っ繰り返した私は、どこをどう慌てたのか、冷蔵庫からケチャップを持ってきて、布団一面に塗った。たぶん、一部がケチャップで汚れているよりも、一面がケチャップになってしまえばバレないのではないか、と思いついたのかもしれない。”

「フェチは『記号のすり替え』である」と同志が言っておられたのですが、なんだかそれがちょっと分かったかも。こういう文章からイカガワシイ何かを想像(妄想?)するわけではなく、この文章の表現とこの場景を想像し、「それ自体」にグッときてしまったから。

0205.jpg

思い出したのが某アートイベントで見つけた「緑色の部屋」。この部屋には「私が彼を殺した理由」というタイトルがつけられていて、日常生活の中に潜む致命的な「理由」を一面緑色の部屋に転々としている補色の「赤」で表現したものなのですが、日常が一色に塗りつぶされたこの部屋の中にいると、安心感と不安感が背中合わせになったような、すごく不思議な感覚になりました。
「塗りつぶす」「覆い隠す」ことで日常を非日常的な「物」に変化させてしまうということ。人間だけじゃなく、もともと「物体」であっても、「布団」とか「部屋」とか以前紹介した「ソファ」とか、人間に身近な日常であると、ツボにハマることがあるみたいです。これはさすがにaiだけかなー。かなりヤバいかも(笑)。

0205_02.jpg

くまの○ーさんも緑色(笑)。

伊坂幸太郎の小説の話に戻ります。「重力ピエロ」じゃなかったと思うけど、伊坂幸太郎の作品のどれかに「パイをぶつけられたような」という比喩表現が使われていました。一般にはあんまり共感されるたとえじゃないような(笑)。そんなシュールさも伊坂作品の好きなところです。

コメント

知ってますよー!
もたぃちさん、こんばんは。

ハナ肇さんの銅像コント、もちろん知ってますよ!
コッチ方面では一般的な感覚が欠落しているので、aiにはシュールにしか思えなかったです。「かくし芸大会」は家族とは見れない番組でした。

WAMな心理、なるほど、そうなのかなあ、って思うの楽しいですよね。aiもなんちゃって知識しかありませんが、好奇心は大きいので(笑)、皆さんと会話するのが楽しいですよ!
  1. 2011/02/09(水) 00:19:55 |
  2. URL |
  3. ai #OaNbtvYE
  4. [ 編集 ]
校長先生みたい(笑)
槙村さん、こんばんは。

コメントを拝見していたら、中学時代の校長先生を思い出しました。「いい話なんだけど長い」(笑)。

変化するだけでなく、同化することへの快感、っていうのは何となく分かる気がします。
こういう感覚への探究心の向かう先が「自らの内にある」っていうのがとても不思議です。初めての感覚かも。探究心の先にはまだまだ知らないaiがいるのかもしれません。
  1. 2011/02/09(水) 00:12:31 |
  2. URL |
  3. ai #OaNbtvYE
  4. [ 編集 ]
緑といえば…
若いaiさんはご存じでないかもしれませんが、毎年お正月になると「紅白かくし芸大会」なる番組が放送されて、故ハナ肇さんがブロンズの胸像に扮して緑色に塗ららた姿を思い出します。

身動きもとれず声も出せず、一方的に無理矢理泡をつけたブラシでゴシゴシ洗われる様子は一般的には笑いを誘った場面だと思うんですが、私は胸像になりきっていたハナ肇さんが羨ましくてしょうがなかったですw

そして槙村さんのコメントを読んでさらに納得。
ローションや泡にまみれてグニュグニュと蠢きながら、そのまま自分も一体化して溶けちゃえばいいのに…ってよく思いますからw

何事にも知識も教養もない私ですが、自分でもわからないWAMMERの心理を解き明かしてくれる先輩や同士がいることをありがたく思います。
  1. 2011/02/07(月) 18:17:12 |
  2. URL |
  3. もたぃち #-
  4. [ 編集 ]
Transformed & Submerged
 長くなってしまったのと、小難しくなってしまったことを予めお詫びします。また、僕の個人的な感覚に大きく依存しているため、見当外れの可能性もありますが…

 WAMMER、特にMessy好き(messy fan)における刺激-反射系の基本は、「塗る、まみれるという情報が五感から脳に入力されると、有無を言わさず快感のスイッチが入ってしまう」というものですが、自分を塗ることに喜びを感じる実践派の場合、そこに「変化(へんげ)」および「周囲への同化或いは溶解」の快感が潜んでいる気がしてならないのです。
あくまでも僕自身の感覚ですので、普遍性はないのかも知れませんが。

[変化(へんげ)]
 少なくとも、非日常性というのは脳が一番喜ぶ刺激です。現代社会は別として、太古より「非日常性=生存の危機」でしたから、入ってきた情報を一時的に貯めておく「海馬」が大きくなり、個体は外部への興味が増して活動的になります。
 この効果が一番大きいのは、空間移動だと言われています。端的に言えば旅ですが、日常的に空間移動をしているタクシードライバーの海馬も非常に大きいそうです。

 話が逸れました。

 Messy fanにとって、塗ることは純粋に快感です。と同時に、塗ることで外見が大きく変わりますから、「普段の自分からより好ましい姿へ変化する=非日常性そのもの」という意味も持つことになります。

[同化或いは溶解]
 僕は白塗り実践で大量の粉を使います。ペイント実践でも、全身の色を変えるだけでなく、床にペイントだまりができるほどの量を使います。埋もれてしまえたら一番良いのですが、そこまで行かずとも、粉やペイントという素材に包まれ、自分自身もその一部と化し、溶け込んでいるという意識が深い満足をもたらします。

[2つの意味?]
 そういう視点で見てみると、塗りつぶされた状態の「人の近くにあるオブジェ」は、「すり替えられた記号」という狭義のフェティシズム的でありながら、部屋といった空間をも含むことで、「自己及び延長された自己の表現型である日常生活を変化(へんげ)」させ、「そこに同化し、溶け込む」という意味を持つのかなと思いました。
  1. 2011/02/07(月) 16:58:04 |
  2. URL |
  3. 槙村 瞭 #iFS4Q/0Q
  4. [ 編集 ]
再びどうもっ。
HIROKIさん、どうもですっ。

「アヒルと鴨のコインロッカー」は映画版もおもしろいですよ。映像ならではの味があるなあとaiは思いました。
「重力ピエロ」もぜひMESSY的観点で読んでみてください(笑)。ミステリ的要素もけっこうあると思います。
  1. 2011/02/07(月) 00:42:40 |
  2. URL |
  3. ai #OaNbtvYE
  4. [ 編集 ]
再び参上
aiさん、またまた失礼します(笑)。
僕も伊坂幸太郎の作品は「アヒルと鴨のコインロッカー」を読んだことがあります(ミステリは結構好きなんです)。
この作品も映画化されているみたいなんですが、これには所謂『叙述トリック』が仕掛けられているんですけどその辺はどうなってるんでしょうね?
今度映画も見てみようかな~。
  1. 2011/02/06(日) 00:27:33 |
  2. URL |
  3. HIROKI #-
  4. [ 編集 ]

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